• うだつの上がる町並み

  • 川湊の灯台

  • 美濃橋

歴史

岐阜県美濃市は、昔は上有知(こうづち)と呼ばれ、和紙で栄え、うだつの建物が佇む静かな美しい街です。
長良川の河口より75kmの上流に位置し、支流の板取川では
古くより和紙が漉かれ、奈良や平安の王朝で使用されてきました。

関ヶ原の戦いで戦功を上げ、高山の町をつくった金森長近によって
城下町として整備されたことがこの町の始まりです。
川湊が開かれ、水運の拠点となり、町内には和紙や原料の問屋がならびました。
漉かれた和紙は京都、大阪、江戸に運ばれ、全国的に美濃紙として盛名を馳せました。
役目を終えた川湊の灯台はいまも川原で静かに佇んでいます。

町は丘の上にあったため水の便が悪く、火災が多かったため
享保8年(1723年)の大火で町は一度全滅しました。
そこから防火のために道幅を従来の倍に広く取り、今の町並みに至りました。
町ごとには「屋根神さま」と呼ぶ防火の神を祀り、今でも毎年欠かさず祭りを執り行っています。

明治時代の後半、町の有志達の努力で、現在も現役の水力発電所が建設され
岐阜から関を経由して美濃までの電気鉄道が敷設されました。
この頃、弊店の創業者の二代目松久永助は事業を安定させ、
鉄道への出資や町議など、町の発展に深く関わっておりました。

明治44年(1911年)、「上有知(こうづち)町」は美濃紙にちなんで「美濃町」に改名。
本来岐阜県南部のことを指した「美濃」の名を付けることができたのは、
当時それだけ美濃紙の産地として知名度と力を持っていたことを表しています。

大正5年には、日本で初めての近代的な吊り橋の「美濃橋」が長良川に架けられました。
現在では最古の近代吊り橋として国の指定重要文化財に指定されています。

昭和に入ると美濃町は周囲から「まち」と呼ばれ各商店・映画館・銭湯などで賑わいました。

平成11年(1999年)、美濃町は重要伝統的建造物群保存地区として指定され、
それを受けて電線の地中化が行われました。
うだつがこれほどまとまって残っているのは他に例がないといいます。
昔ほどの賑わいはなくなってしまいましたが、
景観と旧い伝統を守りながら、新しい伝統を創る努力が町の人々によって続けられています。

  • 大切に保存されているうだつの建物

  • うだつ

うだつとは

“うだつ”とは、屋根の両端に作られた防火壁のこと。

江戸時代、瓦でなく板葺きだった当時の建物は火事の際、
屋根をつたって延焼していくため、それを防ぐためにつけられていました。

当時の豪商たちが競い合うようにそれぞれ立派な“うだつ”を設けはじめたのですが、
それがいつしか商家の富の象徴となり、今日では「うだつが上がらない」という言葉にまでなりました。

江戸時代の名残のうだつの建物は大切に保存され、今でも使用されています。

  • 「しない」

  • 花みこしが市内を練りまわる

春の「美濃まつり」

毎年一つ一つ手染めで作られた紙の花をつけた“しない”を250から300本をみこしに取り付けます。
大小あわせて30余基の花みこしが市内を練りまわり「オイサー」の掛け声と太鼓の音で美しい桜の花が乱舞します。

翌日は江戸時代に作られた山車の練りがあり、
夜には「美濃流し仁輪加」という町民たちによる即興喜劇が町の辻々で行われます。

秋の「美濃和紙あかりアート展」

毎年10月、美濃和紙を使用したあかりのオブジェを一般・小中学生の両部門で全国から一般公募し
「うだつの上がる町並み」を会場として展示、コンテストを行っています。

平成6(1994)年に美濃市観光協会の美濃市制40周年記念事業として始まり、
今日まで多くのボランティアで支えられています。

江戸時代からの情緒ある町並みを、柔らかく照らすあかりのオブジェたちは
美濃和紙の持つ柔らかさや美しさを感じることができ、美濃和紙の新たな可能性をも感じさせてくれる
美濃を代表するイベントです。

  • あかりのオブジェたち

  • 夜まで人足が絶えないことも